バントのうまかった平野 謙
平野 謙は昭和の後半に中日と西武で活躍したバントのうまい名選手でした。昭和57年に中日が優勝した際には2番として先頭打者の田尾を2塁に送るバントも多く成功させました。
昭和57年の中日打線は、田尾、平野の1,2番コンビの後、谷沢、モッカ、大島がクリーンアップを形成し、意外性のある宇野、中尾が下位打線を占めるという打撃陣で、平野はこの打線の中で貴重なつなぎの役割を果たしていました。
この年のセリーグは巨人と中日の激しい首位争いが最後まで続き、中日がシーズン最終戦である大洋ホールズ戦に勝って優勝を決めました。近藤監督の野球は近藤魔術とも言われ、斬新な作戦で他球団にも脅威を与えました。
また、平野 謙はその後常勝球団である西武ライオンズに移籍し、ここでも2番打者としてクリーンアップの秋山や清原につなぐ貴重な役割を果たしてライオンズの優勝に大きく貢献しました。野球ではこういったつなぎの仕事をきっちりできる選手は非常に貴重です。